赤穂浪士と新撰組の違い

赤穂浪士と新撰組の違い

赤穂浪士と新撰組の違い

- 概要 -

赤穂浪士は江戸時代(徳川綱吉が将軍の時)に、主君である浅野内匠頭長矩の無念を晴らす為、吉良上野介邸に討ち入りをした赤穂藩士47名のこと。新撰組は幕末、反幕府勢力を取り締まる為に幕府によって結成された剣客集団である。

- 詳しい解説 -

赤穂浪士は今で言う赤穂市周辺を領有していた藩の藩士で、その主君の浅野内匠頭長矩が江戸城「松の廊下」にて、吉良上野介に対して起こした刀傷事件を引責して、即時切腹を言い渡される。浅野が吉良を切りつけた理由は諸説あるが、浅野は切腹、赤穂城は没収、浅野家はお家断絶となる。主君を失った家臣である藩士達は失職し、赤穂「浪士」となる。主君の無念を晴らさんと、大石内蔵助をはじめとする47名の旧赤穂藩士が吉良邸に討ち入りし、吉良を殺害して仇討を果たした。

新撰組は、幕末の時代に京都において反幕府勢力(天皇を敬い異国は排除しようとする尊皇攘夷派)を取り締まる為、幕府によって設けられた警備隊の事をいう。赤穂浪士は元赤穂の藩士が浪人になった者で結成されていたが、新撰組は全国各地の浪人や百姓などが集まって結成されている。